心の清(聖)さとは何だろう?
清(聖)い人=罪を犯さない 悪を行わない と思い勝ちですね
清くありたいために “しない” を選択 (罪や失敗を恐れて?)せる
実はこれこそ 罪 悪 最悪なんだ
世の中の全ての物事は常に変化し動いている
判断に必要な時間として一時的に “しない” の選択はもちろん有りだけど
でも いつもずっーと ”しない“ の選択は、
しない⇒停滞⇒後退⇒失う と進む
善は 生れ成長する(させる)
悪は 衰退させ失う(させる)
心の清(聖)さとは 神様の御心(善に向く心)を頼り求め 生れ成長する(させる)ように動く(行動する)こと
と 私は考えています
上手く動けず罪や失敗しても 次に向い進むために イエス・キリストの贖罪を思い起こし悔い改め(改善)して 克服へつとめればいい
心の迷いは短く小さくなります
より心の清(聖)さを増すにはどうするだろう?
それは より善い知識と経験をすることによって 神様の心に近づく可能性のある選びが出来るようになると言うことで考える
“する(させる)” 選びは大きく3通りある
・今ある物事をする(させる)
これまでの行動した物事を信じて続け高める
・新たな物事を見いだしする(させる)
未知の部分が多い物事について個人の啓示を信じて行動へ
・違う物事を試してする(させる)
これまでを止め、別のより善いと信じる物事を行動へ
神様の御心は
誰でも物事の選びを自由にする事が認められて 自由な選びに伴う責任 そして永遠(永続)につながる選びをする(させる)にある と考える
【シマ吹くろうの心感覚】
失敗すること 傷つくことを 恐れず
今 出来ること必要なことから 動き 始めよう
3通りのどの選びが永遠(永続)につながるか
弱過ぎず 強過ぎず 生れ成長となる ちょうど善い “する(させる)” 程度 加減は 一人一人 大きくも小さくも 違っていて
一人一人が神様の心を頼り求め 過去から現在に至る知識と経験を糧に さらに神様に近いより善い未来へ向けて 清く(聖く)なって清さを増して より善い気づきや選びを “する(させる)” 出来ますようにと願っています
悪い知識や経験に惑わされず 懸念はほどほどの加減にして 子供のように純粋な心感覚へ