5歳で九州福岡から東京杉並区に移り住んだ。
最初の住まいは1階が畳屋さんを営む家の2階の6畳キッチン付き共同アパートでした。
当時、5歳の私にはトイレが怖かったぁーと強い記憶がある。
深さが4〜5㍍はあったと思うが、2階から1階床下まで筒の穴があった汲み取り式の共同ボットン便所。
子供ながら落ちたら終わると自覚して用をたしていた。
お風呂は週に2〜3回ほど私が後に通う小学校隣の銭湯に行っていた。
母と銭湯に行くときは女湯に一緒に入っていたが、小学校に入学する頃になると恥ずかしくなりいつしか男湯に入るようになっていた。
その様な暮らし、いま思えば貧しい暮らしに見えたでしょうが、まったくそんな思いを感じたこともなく楽しく暮らしていた。
母も仕事勤めがあるため卒園まで少しの間だが近くの阿佐ヶ谷保育園に通った。
開園して2年目だったか同クラスに3人しか園児がいなかった。
外で遊んだり、お昼寝、演芸で王様役をした記憶がある。
卒園後、杉並第九小学校に入学。
当時、校舎は木造で2年生になる頃に鉄筋コンクリート校舎が新設されたと思う。
なぜか最初の担任の先生を顔までもよく覚えている。
名前は東條先生と言う30歳後半ぐらいの女性の優しい先生でした。
当時、母が再婚して1年生の途中で苗字を変えるときにとても気遣ってくれたのを覚えている。
(以前にも投稿していた)
学校内の角に学童保育があり少しの期間に利用していた。
学童保育では女の子に嫌がらせをしてこっ酷く怒られたり、男の子と喧嘩して頭をロッカーの角にぶつけて数針縫う怪我をしたり、ある天気が悪い日に外を見てると隣にあった銭湯の煙突に落雷して光った瞬間に室内のテレビから煙が上がってビックリしたのを覚えている。
勉強は嫌いで外遊びが大好きな男の子。
近くの公園や池でカマキリの卵やカエルの卵を持ち帰り、いつの間にか孵化して部屋中に小さいカマキリやカエルでいっぱいになった事がある。
蝉取り、ビー玉遊び、メンコ遊び、缶蹴りや達磨さんが転んだ、など小学校から帰ると近所の子供と外で遊んだ。
小学生も学年が上がるにつれ遊びも変わってきた。
この頃は近くの広場で凧揚げに興味があって季節とわず上げていた。
自分が気に入った凧を空高く上げる工夫など考えたり、凧糸を考えたり。
遠く空で安定して上がる凧を見てると達成感、満足感、高揚感があった。
野球をしたり、ローラースケートをしたり、釣りをしたり。
野原で野球をして守備にいる時、退屈で足元にあった石ころを思いっきり蹴った。
その石が思ったより遠くに、そして弾んで近隣の家の塀を越えて家の窓ガラスを割ってしまった事があった。
母が仕事から帰宅後、その事を伝えると直ぐに粗品をもって詫びに訪問しました。
そちらのお宅の方がとても良い人で「よく正直に話してくれました」と優しく許してくれました。
何事も正直にしようと考える切っ掛けの出来事です。
と、言う様な勉強嫌いで活発なシマ吹くろう少年期の思い出はさらに続きます♪