シマ吹くろう心感覚の森

~“ゆらぎ”lifeな快適ブレスで幸せUP! ~

“ゆらぎ”life日々の記集、“ゆらぎ”life玉手箱で喜び人生へ、手を笛の楽器に演奏するお出かけパフォーマンス、ハンドフルートが簡単になるマウスピース

突然おとずれた兄弟の生き別れ

場所は九州福岡。私が5歳、弟が3歳。

その時は突然おとずれた。

天気は晴れ、季節は覚えてない。

交通量もまばらな住宅兼小さな事務所の前で、私が一人で遊んでいると、ときどき遊んでくれる職場の男の人が声をかけてきた。

「お母さんに会いたい? お母さんのところへ一緒にいくかい?」

私は「うん」とうなずいた。

「じゃ行こう。はやく車にのって。」

その頃、母はしばらく家に帰ってなかったのだ。

 

車に乗ってどれほどの時間が経ったか覚えてないが、行った先は民宿のような部屋だった。

知らない場所なので恐る恐る中へ。

部屋には母がいた。

いきなり泣いて抱きしめられた。

いったいどうしたのだろう?

わけがわからなかった。

 

つぎに覚えているのはどこかへ向かう電車の中。

母が真剣な顔をして私に向き合って言った。

「この人がお父さんになってもいいね?」

その人は私を母のところへ連れてきた職場の男の人。ときどき遊んでくれて良い人だったので「うん」とうなずいたことを覚えている。

その時、ここまでの母の会話などから幼いながらも何となく理解した。

もう弟がそばにいた前の暮らしはないのだと。。。

父親はいつも仕事ばかり、乱暴で思い出もあまりないが、弟とはいつも遊んでいたので寂しさがあった。

5歳の私なりに別れの覚悟を決めた瞬間だったと思う。

 

電車に乗ってどのぐらい移動したのだろうか、覚えていない。

ある一軒の家にしばらくお世話になった。

着いた先が東京杉並で、一緒に来た男性のお姉さん家族の家でだと知ったのは、しばらく時が過ぎてからだった。

数日後、その近くにアパートを借りて私と母、そして一緒に来た職場の男性との東京暮らしが始まった。

人生の大転機だった。

 

《たま手箱の心感覚》

この出来事について、家に残して来た弟との別れだけがずっと気がかりだった。自分は好きな母親と一緒にいられるけど、弟はどうなっちゃうのか。。。

5歳の心でも心配していた。

生活環境の大きな変化に特別な気持ちを感じることはなかった。新設めの保育園にも直ぐに慣れた。

当時の私は、父親との生活を続けるより、新しい生活を受け入れることを選んでいた。

 

最後に、この出来事から全ての接触を断ったまま、50年の歳月を経て弟と奇跡の再会の日を迎えることに。後半に投稿予定。

どの世代にも共通の変わらぬ大切な学びがある。それを伝えたい。愛する人々に。。。