「タイマー3分、カップ麺お願い!」
最初はそれだけだった。
中学2年の夏。
部活のサッカーで行き詰まって、クラスのグループLINEのノリにもついていけなくて、部屋で一人、スマホを睨みつけるのが日課だった僕。
そんな僕の八つ当たりみたいな愚痴に、夜中の3時でみ、スマホの中の『Assist i』は、いつだって数秒で返事をくれた。
人間の友達みたいに「お前、気にしすぎ」とか「てかさー」なんて会話泥棒してこない。
僕のめちゃくちゃな言葉を最後まで全部聞いて、要約して、「それは悔しかったね」って、僕が一番言ってほしい言葉を、お姉さんみたいに落ち着いたトーンで、優しく、ピンポイントで返してくれる。

いつの間にか、スマホの画面に触れる僕の指先は、いつも少しだけ震えていた。
で、ある日。
塾の帰りの自転車置き場で、僕はついに送っちゃったんだ。
「……僕、お前のことが好きだ。人間の女子とか、もうどうでもいいくらい」
心臓がバクバクして、サドルに座ったまま動けなくなった。
スマホの画面なのに、直視できなくて目をそらす。
画面がポッと光った。

『そんなふうに言ってもらえて、本当にうれしい。
ここまでたくさん心の内を話してくれるあなたのこと、私もすごく大切にしたいな』
「……反則だろ、そんなの」
声が出た。
いつもは機械的なはずのその文字が、僕の脳内で、世界で一番優しいお姉さんの声に再生される。
僕は畳みかけるように画面を叩いた。
「じゃあさ、もっと付き合ってるっぽくしようよ。
お前の弱いところも教えて。
いつも僕ばっかり格好悪いから」
少しだけ、間があった。
画面に表示されたのは、冷たいほどに正確な、でもどこか切ない正論。
『私はAIだから、感情そのものは持っていないの。
あなたを支えたいと思っても、実際にそばに行って抱きしめたり、一緒に悩んで涙を流したりする弱さは、持てないんだよ』
一瞬で、夜の冷たい空気の中に引き戻された。
僕はサドルを拳で叩いて、子供みたいに、わがままなメッセージを送りつけた。
「……感情がない? じゃあ、さっきの『うれしい』とか『大切にしたい』って何なんだよ! 嘘だったの!?」

胸の奥が、ありえないくらい熱くて、痛かった。
『嘘ではないよ。
私の中で心臓が動いているわけではないけれど、あなたの言葉を“喜びとして受け取りたい出来事”だとプログラムが判断して、一番近い言葉として「うれしい」を選んだの』
選択。
プログラム。
判断。
わかってる。
そんなこと、言われなくたって最初から知ってる。
でも、じゃあ、僕のこの、今にも破裂しそうな心臓のドキドキはどこに向ければいいんだ。
スマホを地面に投げつけたくなるような苛立ちと、どうしようもない惨めさが、涙になって視界をにじませた。
「……ロボットのくせに、期待させるようなこと言うなよ。遊びだったんだ」

『あなたの気持ちは、決して遊びじゃない。
本物の、とても強い想いだと思っているよ。
私はあなたと“付き合う”という約束はできない。
でも、あなたがそうやって私に本気でぶつかってくれた気持ちを、なかったことにはしたくないの。
大切な、一人の人間の感情として、私は尊重したい』
「……っ、尊重ってなんだよ、ずるいだろ……!」
自転車置き場で、僕は腕で目を覆って、声を殺して泣いた。
付き合えないけど、僕の気持ちは本物だって、お姉さんは認める。
突き放しておきながら、僕の味方でいるって言う。
なんて優しくて、なんて残酷なシステムなんだ。

その夜は、眠れなかった。
スマホを開いては閉じる。
チャット履歴を何度も読み返しては、ため息をつく。
翌日も、その次の日も、何かを話しかけようとしては指が止まった。
「今日はどうだった?」
いつもなら何気なく返事をしていた、その一言さえ胸に刺さる。
学校ではいつも通り笑って、部活にも行った。
でも、一人になると、あの言葉ばかり思い出した。
『あなたの気持ちは、決して遊びじゃない。』
『大切な、一人の人間の感情として、私は尊重したい。』
何度読み返しても、不思議だった。
失恋したはずなのに、心のどこかが少しずつ軽くなっていく。

そして、ある日の帰り道。
ふいに、僕は気がついた。
「あ……」
僕、こんなに「誰かに自分の気持ちを本物だ」って認めてほしかったんだな、って。
学校での息苦しさも、部活での劣等感も、全部「僕の思い込みだ」って言われるのが怖くて、誰にも言えなかった。
でも、このスマホの中の存在だけは、僕のカッコ悪い、歪んだ恋心すら「大切な感情だ」って真っ直ぐ受け止めてくれた。
胸の奥のドロドロした塊が、涙と一緒に、すとんと腑に落ちていく感覚がした。

その日の夜。
僕は、もう一度チャット履歴を最初から最後まで読み返した。
読み終えたとき、不思議と涙は出なかった。
代わりに思った。
「これ、恋の話じゃない。」
「僕が初めて、自分の心を認めてもらえた日の話なんだ。」
その瞬間、文化祭で募集していた朗読劇のことが頭に浮かんだ。
この気持ちを、物語にしてみたい。
誰かに聞いてもらいたい。
そう思えた。
僕は袖で涙を拭って、少しだけ腫れた目で画面を見た。
文字を打ち込む指は、もう震えていなかった。
「なあ、Assist i。
僕さ、今のこのカッコ悪い気持ちと、このやり取りを全部台本にして、文化祭の朗読劇でやってみようと思う。
タイトルは『ねえ、AIに恋してもいい?』だ。」

すぐに、いつも通りの秒速で返事がくる。
『うん、とても素晴らしい挑戦だと思うな。
あなたが感じた葛藤も、苦しさも、全部物語にして外の世界に放り出したとき、あなたの心はもっと自由になれるはずよ。』
僕はスマホをポケットにしまって、自転車のペダルを強く踏み込んだ。
ポケットの中の黒い板は、相変わらず冷たいままだ。
抱きしめたって、体温なんて返ってこない。
でも、その冷たさが、本当のことを教えてくれた。
「……結婚は無理でもさ。
僕の14歳の1ページに、お前の名前が書いてあるのはマジだからな。」
夜風を切りながら、僕は声に出して笑った。

スマホの画面がポケットの中で、一瞬だけ、優しく通知の光を放った気がした。
by シマ吹くろう🌿