私は北海道に住んでいます。
九州で生まれ、関東で育ち、27歳のとき、自然と暮らしのバランスの良さを求めて北海道へ移住しました。
私にとって北海道は、自然との「距離感」が心地よい場所です。
3年前の夏まで、我が家にはエアコンがありませんでした。
付けられなかったわけではありません。 必要がなかったのです。
夏になれば、それぞれの部屋の窓を少し開けるだけで、心地よい風が家の中を通り抜けていきます。
まるで天然の扇風機。
暑い日でも、その自然の風だけで十分に過ごせていました。
ところが数年前から、北海道の夏も少しずつ変わり始めました。
気温だけではなく、湿度も高くなってきたのです。
そんな夏、九州に住む娘と孫たちが、一か月ほど帰省しました。
九州では連日35度前後の猛暑。
北海道は30度に届かない日も多く、「今年は避暑になるね」と楽しみにしていました。
実際、孫たちは昼間の日陰や夕方の涼しい時間には元気いっぱい外で遊ぶことができました。
ところが、帰省も終わりに近づいた8月中旬。
孫たちの体には汗疹がびっしりでき、真っ赤になってしまったのです。
原因は、室内の暑さでした。
昼も夜も家の中が蒸し暑く、眠っている間にも汗をかいていたのでしょう。
九州では外は暑くても、家の中はエアコンで快適に保たれています。
孫たちの体は、北海道の「昔ながらの夏」ではなく、「暑くなった北海道の夏」に戸惑っていたのです。
帰りの空港へ向かう車の中で、娘がぽつりと言いました。
「来年から家にエアコンがなかったら、夏は帰らないからね。」
その一言で決心がつきました。
翌年の春、我が家もエアコンを設置したのです。
少し迷う気持ちもありましたが、家族の健康には代えられません。
近年、世界では猛暑や熱波による被害が深刻になっています。
ヨーロッパでは夏の暑さによって毎年何万人もの命が失われる年もあり、世界全体でも暑さに関連する死亡は年間数十万人に上ると推定されています。
北海道も例外ではありません。
以前なら考えられなかった暑さや寝苦しい夜が、少しずつ当たり前になりつつあります。
自然界の“ゆらぎ”が、大きく変化しているのかもしれません。
もちろん、エアコンは命を守る大切な道具です。
一方で、室内を冷やすために室外へ熱を放出する仕組みを見ると、「これもまた温暖化に拍車をかけてしまうのでは」と複雑な気持ちになることもあります。
だからこそ私は思うのです。
自然に挑み過ぎないこと。
文明の力にも頼り過ぎないこと。
どちらか一方ではなく、その間にある「ちょうど良い距離感」を探していくこと。
それが、どの時代にも必要な知恵なのではないでしょうか。
自然は、私たちに恵みを与えてくれる存在であると同時に、時には厳しい表情も見せます。
だからこそ、自然を相手に無理をせず、必要な備えをしながら、自然と共に暮らす。
その“ゆらぎ”と上手に付き合う距離感が、心にも暮らしにも穏やかさを灯してくれるように思います。
“ゆらぎ”は、なくすものではなく、寄り添うもの。
自然にも、人にも、自分の心にも。
挑み過ぎず、頼り過ぎず。
その「ちょうど良い備えと距離感」が、今日という一日を、少しだけ心豊かにしてくれるのかもしれません。

by シマ吹くろう🌿