サイコロ神社と、神さまの“ゆらぎ”
町のはずれに、小さな「サイコロ神社」がありました。
拝殿のいちばん奥には、掌にすっぽり収まる神秘的なサイコロが一つ、ちょこんと置かれています。
それがこの神社のご神体でした。
サイコロの六つの面には、「大吉」「中吉」「小吉」「末吉」「凶」「大凶」と、昔ながらのおみくじの言葉が刻まれています。
参拝に来た人は、鈴を鳴らしてお参りをしたあと、このサイコロを一度だけ転がす決まりになっていました。

「はい、次の方。お参りがすんだら、ここでサイコロを一回だけ振ってくださいね」
巫女見習いの女の子、結花(ゆいか)が、今日も石段のいちばん上で、参拝客を笑顔で案内しています。
しかし最近、結花にはある疑念がありました。
「このサイコロ、どう考えても“大吉”出すぎじゃない?」
恋を願う女子高生も、出世を願うサラリーマンも、健康を願うおばあちゃんも、なぜか大吉ばかり。
たまに“末吉”や“凶”が出ても、みんな苦笑いしながらスマホで写真を撮り、「ネタになったからいいか」と言って帰っていきます。
「ねえ神さま、これでいいんですかねえ…」
結花は夕方、人気のなくなった境内で、ほうきを握ったまま空を見上げました。

「みんな真剣にお参りしてるのに、“たぶん大吉です”ばっかり。 “運がよければなんとかなる”って、ちょっと雑じゃないですか?」
返事は、もちろんありません。
ただ、古びた木の柱が、ぎし、と鳴っただけでした。
結花はため息をつきました。
「“神はサイコロを振らない”って、どっかで聞いたことあるけど……。 うちの神さまは、振りまくってるんじゃないですかね」
その何気ないひと言が、このあと不思議な夜を連れてくることになるのです。
その夜。
結花が閉門作業をしていると、拝殿の中から、かすかな声がしました。
「おーい。おーい、巫女さんや」
「ひゃっ! もう閉めますよ、イタズラはやめてください!」
「イタズラじゃないよ。神さまだよ。
……たぶん」
「“たぶん?” たぶんって、なんですか?」
薄暗い社の中、賽銭箱の上に、ぼんやり光る人影が現れました。
白い着物を着た、やさしそうな気弱なおじさんの姿。
その頭の上には、なぜか「担当:このあたり一帯」と書かれた小さな札がフワフワ浮いています。

「地域担当の神さまですか?」
「まあ、そんな感じ。正式には“事象管理担当”だけどね。 いちおう神さま扱いされてる」
「急に庶務っぽい肩書き出さないでください」
結花は半分あきれつつも、ワクワクしていました。
神さまは、少し居心地悪そうに頭をかいてます。
「きみ、さっき“適当にサイコロ振りすぎじゃないか”って言ってただろう。あれ、図星なんだ」
「え、ほんとに振りすぎなんですか! 苦情言っていい案件ですか!」
「いや、そのね…… 最近、あんまりサイコロ自体は振ってないんだよ」
「は?」
神さまは、申し訳なさそうに続けました。
「ここだけの話、昔は本当に、いろんなことが“運”みたいに見えていたんだ。 天気も病気も事故も、“どうして起きたのか”よく分からなかった。 だから、神さまも“サイコロ”みたいなイメージで呼ばれることが多かった」
「まあ、分からないと“神さまの気まぐれ”にしたくなりますよね」
「でもね、人間がだんだん賢くなってきた。
『天気はある程度予報できる』
『病気もかなり予防できる』
『事故も工夫しだいで減らせる』
そんなふうに、“読めること”が増えてきた」
神さまは、そっとご神体のサイコロを指さしました。
「だから本当は、“サイコロの出目”で決まっていることなんて、世界の中では思ったより少ないんだ。 きみたち人間が、毎日選んでいる行動や習慣のほうが、よっぽど大きく結果を動かしている」
結花は首をかしげました。
「でも、ここの人たちは『神さまのサイコロで決まる』って思ってますよ。 “大吉出たからきっと大丈夫”とか、“凶が出たから今日は最悪だ”とか」
神さまは、苦笑いしました。
「そうなんだよねえ…。 本当は“神はサイコロなんて、そうそう振らない”って伝えたいんだけど。 いつのまにか、“なんでも運のせいにできる便利グッズ”になっちゃった」
結花は、思わず口をとがらせました。
「じゃあ、今ここでみんなが振ってるサイコロは?」
「それは、“人間用の確認アイテム”って感じかな。 本物の“運”は、きみたちの積み重ねの上に、最後にそっと乗っかるだけなんだ」
結花は、神さまを社務所のちゃぶ台に座らせ、お茶を出しました。
ちゃぶ台に座る神さまは、どう見ても「近所のちょっと頼りないおじさん」にしか見えない。

「じゃあさ、神さま。 恋がうまくいくかどうかも、このサイコロの目で決まってるわけじゃないんですね?」
「うん。たとえば、そうだな…」
神さまは、窓の外を指さしました。
境内のベンチで、毎朝コーヒーを飲む青年がいます。
名前は大樹(だいき)。
目つきは鋭いが、飲んでいるのはカフェラテだ。
「大樹くんは、ここ半年、毎朝同じ時間にここでコーヒーを飲んでいる。 それは、彼の“なんとなく落ち着く習慣”の積み重ねだよね。 そのおかげで、きみは彼の存在を何度も見かけている」
「まあ、確かに」
「もしきみが、ある日思いきって挨拶したら、その瞬間に“出会いの確率”は一気に上がる。 “ただ見ている人”から“一言かけた人”になるからね」
「なるほど。私が“行動”したぶんだけ、“運まかせ”の部分は減る?」
「そうそう。 “なんにもしてないのに、最高の出会いが起きますように”と言う人は、六面サイコロを振ろうとしているようなもの。 でも、“こうしてみよう”“ああしてみよう”と動いた人は、確率の分母を減らして、当たりやすい四面サイコロにしてる」
結花は、思わず笑い出しました。
「それって、このサイコロおみくじは、もはやギャンブルじゃないですか。 “何も変えないまま奇跡が起きろ”って、“全部ハズレのサイコロ”振ってるみたいなものですよね」
「そう。 だから、“奇跡を待つ”より“確率を育てる”ほうが、ずっと現実的で優しいんだよ」
神さまは、急須を持ち上げてお茶をつぎ足しました。
結花はふと、境内のハトたちを見ました。

「でも、予測できないこともありますよね。 急な雨とか、たまたま会う人とか」
「もちろんある。 自然界には、きみたちがまだ知らない”ゆらぎ“がたくさんある。 でも、その“読めない部分”を含めても、“読める部分”をちゃんと大事にすると、結果はだいぶ変わってくる」
神さまは、指で円を空中に描きました。
「たとえば、大樹くんが毎朝ここに来る確率を、一日1%だとしよう。 何もしなければ、一年で会えるチャンスは、ただなんとなくの365回だ。 でも、きみが“毎朝同じ時間に境内を掃除する”と決めたら、その“会う確率”は一気に跳ね上がる」
「…それ、“神さま仕事してます?”」
「してるよ。 でも、ぼくが手を出せるのは、“きみが掃除をするかどうか”を決めたあとなんだ。 きみが選んだ習慣の上に、“たまたま雲が切れるタイミング”とか“たまたま風が吹く向き”とか、そういう小さな“ゆらぎ”を添えているだけ」
「上手くいくことも、いかないこともある。人間はそこから学んで、少しずつ賢くなったり、工夫したりするでしょ? 私たち神さまが本当にやりたいのは、そうやって前を向こうとする人に『あ、良いことを思いついた!』っていう閃き(ひらめき)のヒントを、そっとプレゼントすることなんだよね。みんなが元気で幸せに暮らせるようにさ」
結花は、妙に納得してしまいました。
「つまり、“運命の出会い”も、“運命のチャンス”も、 “運”だけじゃなくて、かなり“自分が積んだもの”の結果なんですね」
「そう。 神はサイコロを乱暴には振らない。 きみたちが積み重ねた“必然”の上で、最後にそっとひと振りするだけ」

数日後。
サイコロ神社で、町内会の会議が開かれました。
議題は、“サイコロおみくじの見直し”です。
「最近、若い子たちが“人生はサイコロだよね”なんて言っててねえ」
「なんでも“運が悪かった”で片づけるのは、ちょっとねえ」
「“神さまがサイコロ振ったんだから仕方ない”って、便利な言い訳にされてないかい?」
結花は、ぐっと立ち上がりました。
「そこで、提案があります!」
ざわ…と大人たちの視線が集まりました。
(一呼吸置いて)
結花は、神さまとの夜の会話を思い出しながら、言葉を選んで話し始めました。
「サイコロおみくじは、なくしません。 でも、“意味”と“使い方”を変えたいんです」
「ほう?」
「今までは、お参りをして、サイコロを振って、“出た目に一喜一憂”して終わりでした。 でもこれからは、こうしたいんです」
結花は、ホワイトボードに三つの丸を書きました。
「一つ。 まず、自分で“これをやってみよう”という小さな一歩を決めてもらいます。 勉強を一日10分するとか、誰かに『ありがとう』を一言伝えるとか、5分だけ早く起きるとか。 “神さまに全部おまかせ”じゃなくて、“自分で積み重ねる一歩”を決めてもらうんです」
「なるほど」
「二つ。 その次にサイコロを振ってもらいます。 “大吉”が出たら、“その一歩を続けると、かなりいい風が吹きそうですね”と背中を押す。 “凶”が出たら、“油断せずに続ければ、ちゃんと変わっていきますよ”という注意のサインにする。 つまり、サイコロは“運命の決定”じゃなくて、“行動へのひと言メッセージ”にしたいんです」
「ほう」
「三つ。 最後に、『神さまはサイコロを乱暴には振らない』って一言、声に出してもらいます。『全部運のせいにしないで、自分のやれる部分をちゃんとやるよ』って自分に約束してもらうんです。そうすれば、神さまは私たちがやったことをちゃんと見守って、最後に『幸せのゆらぎ』をそっと添えてくださいますよ、って」
神主さんは、白いひげをなでながら、ゆっくりうなずきました。

「つまり、“サイコロ頼み”から、“自分の一歩を中心にしたお参り”に変える、ということかの」
「はい。 神さまは、最後にそっと風を吹かせるだけ。 メインで積み重ねるのは、私たちのほうだって、ちゃんと伝えたいんです」
町内会のおばちゃんが手を挙げました。
「いいじゃない。 “運が悪かった”って文句を言う前に、“自分がどんな一歩を続けてきたか”を考えられるようになるかもしれないねえ」
別のおじさんが、ぽつりと言いました。
「じゃあ、わしも“健康”を願うときは、まず“夜のお菓子を週に一回減らす”って決めてからサイコロ振るかな…」
「おじさん、それだけでだいぶ変わると思いますよ」
結花は笑いました。
ふと、拝殿の奥を見ると、見えないはずの神さまが、なぜか拍手している気配がしました。
時が経ち。
新しいおみくじが始まってから、サイコロ神社は少しだけ、にぎやかになっていました。
「よし、“毎朝ストレッチ3分”にしよ。 うわ、大凶出た。けど、“油断するな”ってことか」
「そうですそうです。 “やってみようとしてる人には、大凶も応援メッセージになりますよ”」
「なんか、前より頑張る気になるなあ」
ある日、結花は決意しました。
ただ見ているだけじゃなくて、まずは『確率』を育てよう、と。
毎朝の境内掃除のとき、大樹の前を通りかかるたびに、まずは「おはようございます」と会釈することから始めました。
大樹が少し驚きながらも頭を下げ返してくれるようになり、数日後、ようやくいつものベンチに近づくことができました。
「あの、いつもここでコーヒー飲んでますよね。よかったら、これ…… 新しくなったサイコロおみくじ、試してみませんか?」
大樹は驚いた顔をしたあと、少し照れくさそうに笑いました。
「じゃあ、“仕事でミスっても、すぐあきらめない”って目標にしようかな。 それで、サイコロは?」
結花は、笑いながらサイコロを案内しました。
「これは、“神さまからのひと言メッセージ”です。 メインは、あなたが今決めた、その一歩ですから」
サイコロはころころと転がり、「小吉」の面で止まりました。
「小吉、か。 “悪くないから、そのまま丁寧に”って感じかな」
「そんな感じです。 “いきなり大吉じゃなくても、積み重ねればちゃんと変わるよ”って」
大樹は、サイコロを見つめたあと、小さくうなずきました。
「うん。やってみる。 なんか、“運”じゃなくて“自分が動いてる”って感じがしますね」
結花は、神さまが話していた言葉を思い出しました。
「きっと、神さまはサイコロなんて、あんまり振らないんですよ。 私たちが積み重ねたものの上に、そっと幸せを呼ぶ風を吹かせるくらい」
大樹は、空を見上げました。
その空の、もっとずっと向こう。
目には見えないけれど、さっきまでちゃぶ台でお茶を飲んでいた神さまが、少しだけ照れながらつぶやく。

「そうそう。 ぼくが振るサイコロは、小さくていい。 きみたちが積み上げた“必然”があるから、世界はちゃんと面白くなる」
その日、サイコロ神社の奥にある小さな物置に、ひとつの箱がそっとしまわれました。
中に入っているのは、つい先日まで使われていた、**なぜか『大吉』ばかりを出し続けていたあの古いご神体(サイコロ)**です。
箱のふたには、結花の字でこう書かれていました。
「“神はサイコロを乱暴には振らない” だから、私たちも“運まかせに乱暴には生きない”(人々が自分で努力することを忘れてしまったから『甘やかしモード』のサイコロ)」
人はみんな、知らないうちに、毎日たくさんの小さなサイコロを振っています。
けれど、そのサイコロは、「今日どんな言葉を選ぶか」「誰に微笑むか」「どんな習慣を続けるか」という、自分の手の中で形を変え続けています。
きっと神さまは、それを見ながら、こうつぶやいているのでしょう。
「ぼくが振るサイコロなんて、最後のひと押しでいい。 きみが積み重ねた一歩一歩が、もう十分、“幸せを呼ぶ奇跡の準備”になっているからね」
by シマ吹くろう